私たちが子どもを授かることを考えた際、もし子どもに障害があった場合どうするか(ダウン症も含めて)を、夫婦で話し合いました。自分たちが親になる責任として、ちゃんと考えなければいけないと思っていました。そのため、出生前診断も受けることにしました。『ダウン症の可能性は99.8%ありません』という結果を受け取った時は、どこか安心したというのが正直な気持ちでした。今回は、ダウン症のお子さんを育てている同僚から、出生から現在までの子育ての経験を聞きました。日々の発見や成長の喜び・不安など、貴重なお話を伺うことができました。【登場人物】夫(同僚)・妻(奥様)ダウン症とわかったときの気持ちや戸惑い―お子さんがダウン症と診断された時のお気持ちを、差し支えない範囲でお聞かせください。夫:出産直後に赤ちゃんの容体が安定しなくて、ヘリコプターで大学病院へ搬送されたんです。あの時は“どうする?どうやって追いかける?みたいに慌ただしくて。でも僕自身はとにかく自分の子なんだからという気持ちが強かったですね。もちろんショックはあったし、NICUで泣いたこともありましたが、『この子がダウン症かもしれない?でも自分たちの子だよな』って、意外と早い段階で受け止めていた気がします。妻:私はまったく逆でした。生まれた瞬間はやっと産んだってほっとしたのに、そのわずかな間に“不穏な空気”が漂ってきて、「ヘリ搬送します」って言われても現実が受け入れられなかったんです。自分だけ病院に残されてしまったあと、『あれ、自分はまだ産んでいないのかも”“私の子ども、まだ生まれてないんじゃないか』って、頭の中で拒絶してる状態だったんですよね。―ヘリ搬送後、お子さんがNICUに入院されていた間はどんなお気持ちでしたか?妻:病院が変わってしまって、私はしばらく別の病院に残らなきゃいけない。赤ちゃんがそっちに行ってしまったし、連絡もまともに入ってこないし、ほんとに一人取り残されたような気分でした。周りのみんなは、おめでとうってボードに赤ちゃんの名前を貼ってくれるんですけど、うちの子は搬送されて貼り出してももらえなかった。それがすごく寂しかったですね。夫:僕はすぐ車で追いかけてNICUに通ったんです。だからNICUでわが子を抱っこして、『ああ、やっぱりかわいいわが子なんだな』っていうのをずっと感じていました。ただ妻がどんな気持ちでいるのか、当時はそこまで理解できていなかったんですよね。ダウン症の診断確定に時間がかかった―ダウン症と正式に診断が確定したのは、生後1か月ほど経ってからとか。夫:はい。病院の一室に呼ばれて、何人も医師や看護師さんが入ってきて、「染色体検査の結果、ダウン症ですね」って言われました。ただ僕はやっぱりそうかって気持ちが強くて、そこでもう『よし、じゃあこの子と生きていこう』と思っていました。妻:私は最後の最後まで違うかも!って思いたかったんだけど、実際に診断されると『ああ、そうなんだ』って…。でもそれと同時に、ダウン症だから産まなかったか?って聞かれたら、私はそれは違うとも思っていました。結局、お腹にいた時点で何があっても産む覚悟はできていたんですよね。だからダウン症が嫌というよりは、こんなはずじゃなかったみたいな、いろんな感情がぐちゃぐちゃでした。NICU退院後の育児——医療的ケアと日常―実際の育児では医療的ケアも必要と伺いました。どんなことが大変でしたか?妻:うちは呼吸の酸素も必要だったし、鼻から経管栄養を入れたりとか、最初は怖かったですよ。『これ間違って肺に入ったらどうしよう』って。でも、やらないと生きていけないわけだから、練習してどんどん慣れていくしかなかったですね。慣れてしまえば、経管入れるのも10秒かからないくらい。最初はすごい怖かったのに、今はもう日常になりました。夫:僕は案外すぐやってみようってなれたので、最初から経管栄養もわりと得意だったんです。お互いに練習して習慣化するうち、そこまで“苦労”って感じなくなるんですよね。日々同じことを繰り返していると、あれ、意外と平気だなっていう感覚が出てきたというか。子どもの成長と「比較」からの解放―お子さんは現在5歳。発達の遅れもあるとのことですが、成長の喜びはどんなときに感じますか?夫:拍手を覚えたとかバイバイを覚えたとか、ほんの些細なことができるようになった時がめちゃくちゃ嬉しいですね。『この子、ちゃんと分かって真似してるんだ』ってわかる瞬間が本当に可愛い。妻:そうそう。最近、どんぐりころころとか大きな栗の木の下でみたいな手遊びを覚えて、急にやりだすと『あ、こんなのもできるようになったんだ』って、びっくりするし感動します。比べると“普通より遅いな”って思うことはもちろん多いんだけど、子どもなりに一歩ずつ進んでるのが見えるとやっぱり可愛いし、嬉しいですね。―行政や医療機関など周囲のサポートも大きかったとか。妻:うちはすごく恵まれてました。市役所の人たちや医療スタッフから「次はここに行ってください」「こういう手帳の申請をしてください」と全部教えてもらえたから、私たちは言われた通りに動けばよかったんです。何をどう調べていいのかわからない状態だったので、本当に助かりました。夫:ダウン症の会にも参加してみたら、そこでもいろんな情報交換ができました。「うちの子はもっと早く歩き出したよ」とか聞くと「うちはまだ全然歩かないけど、まあいいか」って逆に気が楽になったり。そういうコミュニティがあるのは心強いです。あと義母のサポートは本当にありがたいですね。最初は受け入れられないような雰囲気だったんだけど、今はもう「私が見るからゆっくりしてきなさい」って言ってくれたり。一番身近な家族の理解ってやっぱり大きいなって思います。これから先の不安と希望―将来について不安はありますか?夫:まあ、もちろんありますよ。知的障害が重いから、この先どこまで自立できるのかはわからない。でも、だからといって悲観的になるより、必要なサポートを使って生きていけばいいよねって気持ちが強いです。社会制度もけっこう充実してきていますし、そこは期待したいですね。妻:私も正直、不安は大きいですね。でも、この子には『ダウン症だからこその良さ』もあるはず。それを伸ばしてあげたいし、たくさんの人に助けてもらいながら生きていけばいいのかなって思っています。同じように悩む方へのメッセージ―これからダウン症のお子さんを育てるかもしれない方に、何かメッセージをお願いします。妻:時間が解決する部分が大きいっていうのは、本当だと思います。私も最初は受け入れられなくて、1年くらい可愛いと思えなかった。でも、一緒に生活しているうちに馴染んでくるんですよね。馴染むっていうのがいちばんしっくりくる。慣れてくる、好きになってくるっていうか。夫:ダウン症だからどうこうっていうより、自分の子どもだって思いで接していくと、自然と愛情が湧いてきます。大変は大変だけど、案外それが日常になって、面白かったりするんですよ。だから『なるようになる』と言ったら身も蓋もないんだけど、本当にそんな感じなんです。妻:他人から言われるアドバイスってあまり当てはまらないことが多いけど、いざ困ったときには周りにサポートを求めれば、行政や医療機関、支援施設、家族とか意外と助けてくれる人はいるもんだよっていうのは伝えたいですね。おわりにこの5年間、お二人には想像を超える様々な出来事があったのだろうと感じました。そのすべてを僕が想像することは到底できません。本当は「まとめ」をうまく書きたいと思っていたのですが、お二人のインタビューを聞いているうちに、自分の言葉では表し切れないと感じました。そこで、いつかこの記事を見るかもしれない、お二人のお子さんへのメッセージを送らせてください。おこがましすぎますが、思いを綴ります。『普通ってなんだろう』『当たり前ってなんだろう』世の中には、多数派を「普通」や「当たり前」と呼ぶ風潮があります。それは、あくまでもその人の価値観や視点だけの話です。人と違うなあって感じることもあると思います。それは、ネガティブに捉えることではないです。ポジティブでしかないです。違うなあって感じる何かを突き詰めてほしい。それは、歌かもしれないし、書くことかもしれないし、喋ることかもしれないし、全く別の何かかもしれません。世界はとても広いです。先住民の暮らしを見に行ったら、そこにはWi-Fiが飛んでいて、ジーンズを履いた人たちがいた。日本では100円の水が、ある国では700円で売られている。『普通』や『当たり前』なんて、国や地域、文化が変わればいくらでも変わります。だからこそ、「正解」は一つだけじゃない。自分が思う正解を、ただ楽しんでみてくださいいつか会った時に『いま、こんなことを楽しんでるよ!』と教えてください。どこかで会えることを楽しみにしています。