僕は、世界が近く感じている。旅と教養――「知る」ことが世界の楽しみ方を変える理由僕たちが旅に出る理由は人それぞれです。単純に美しい景色が見たい、あるいは新しい味を求めて各地を巡りたい、遠く離れた文化や人との触れ合いを求めている……。けれど、たとえ同じ光景や出来事に触れても、その受け取り方が大きく変わってしまうことってありますよね。その違いは何から生まれるのでしょうか。その鍵の一つが、「教養」にあると僕は考えています。「教養」とは何だろう?ここでいう教養って、単に難解な知識を暗記していることではありません。むしろ「どうしてこうなっているのだろう?」と疑問を持ち、背景を探ってみる、その繰り返しで自然と身に付いていく多層的な理解のこと。たとえば、有名な観光地で写真を撮って「キレイだった!」で終わるのか、それとも「なぜこの風景は生まれたのか」「ここにはどんな歴史や物語が折り重なっているのか」と少し深掘りしてみるのか。その小さな違いが、旅の印象を大きく変えていきます。AI時代における「教養」再考一方で、今の時代、僕たちにはAIが身近にあります。疑問が浮かんだら、その場でスマホやPCを開けば、瞬時に情報が手に入ります。だったら出かける前に必死で下調べなんてしなくても良いんじゃないか……そんなふうに考える人も少なくないかもしれません。でも、実際に大事なのは「何を知るか」以上に「何を知りたいと思うか」です。つまり、好奇心や探究心の方が重要になってきている。情報はいつでも呼び出せる。でも「なぜこれを知りたいのか?」という問いは、自分の内側からしか生まれないものです。好奇心がドアを開ける旅先で偶然目にしたものをその場で調べ、初めて気づく事実や意外なつながり。僕たちはAIを利用しながら、現地でインスピレーションが湧いたときにいつでも学びを深めることができます。つまり、教養はあらかじめ用意しておくものから、その瞬間ごとに「芽生え、収穫する」ものへと変化しているんです。このプロセスは後からでもいい。旅が終わってから「あの光景って何だったんだろう」と思い出して調べることで、後から教養が身につくことだってある。むしろ、そういう後追いの学びが、経験を立体的に再編集し、旅の余韻をより深く、個性的なものにしてくれるんです。結局は「知りたい」という気持ち旅は、世界を見て回る行為であると同時に、自分自身と対話する機会でもあります。AIがすぐそばにある今、必要なのは、何かを理解し、感じ取ろうとする好奇心と、その好奇心を満たす行動です。そうして得られた教養は、あなたの旅を、そして日常を、ただ「キレイだった」以上の多面的で豊かな物語へと変えていくはずです。世界は常に問いかけてくる。「なぜ?」「どうして?」と。その問いかけを掘り下げていく姿勢こそが、これからの時代における教養のかたちなのではないでしょうか。